Information 4 「グレースハイツ岩崎」<1FA-2FD>ルームデザイン案内
<「岩崎山」は 名古屋城の石垣の採石・石切り場でした 下に説明・紹介がしてあります >

快適で、暮らしやすい住宅環境になるように、機能性を考慮したルームデザインをしています



  
<A> 1FA〜1FD (1階) のルームデザインSimple life is best.         

  洋間(A)は、しきりドアを閉じて独立した部屋にすることができます。

洋間(A)は、しきりドアを閉じて独立した部屋にすることができます。

                                                   ※いずれの図面も、窓などの一部分は簡略表現をしています。
  
  2FA〜2FD (2階) のルームデザイン

  3FA〜3FD (3階) のルームデザイン


名古屋城の石垣に使われた石の一部は、「岩崎山」から切り出されています



 
くさび跡<矢穴>



山すそで見られる巨石 山頂にある高さ3mに近い石
名古屋城を見学しますと、石垣の巨大さと膨大な石の量に驚嘆させられます。これほど多くの巨石が重機も何もない400年余り前の時代に、どのようにして、また、どこから運ばれてきたのだろうと 想像するだけでも興味は尽きません。
石垣に使われた石の多くは、名古屋近郊の丘陵地や海岸、三河・岐阜・長野をはじめ、近畿地方からも運ばれてきています。 (瀬戸内海・九州地方からも運ばれてきているとの説もあります)

採石場・石切り場であったうちの一つが「岩崎山」です。その岩崎山が 「グレースハイツ岩崎」の北西約700m程の所にあります。<登り口の階段下までの距離>「岩崎山」は標高50m余の極めて低い山でほとんど目立ちませんが、天正12年(1584年)の「小牧・長久手の戦い」のおり、小牧山に位置する徳川方に対峙して豊臣方がここ<岩崎山>に砦を築き、稲葉一鉄が陣をおいたことで知られています。
砦の規模等については、「尾張志」によると、<標高11間の山上に築かれ、東西3町・南北1町46間で、秀吉の命により、稲葉一鉄・・・ら、4000人の兵で守りを固めた>となっています。 当時は、耕地の他は草原でさえぎる物はなく、南へ約2Kmの小牧山に陣どる敵方の徳川軍の動きを偵察できる、攻守絶好の最前線基地だったと想像されます。
砦跡を示す石柱 「岩崎山」の一部 熊野神社への階段
岩崎山へは南側から「熊野神社」へ通じる石段を登ります。登り口の石段の両側に多くの大小の石が存在し、山頂に至るまでに、かなりの数の巨大な石を見ることができます。こうした類の巨石は岩崎山全体にわたって点在し、この岩崎山が、かっての尾張藩の「御用石場」であったことや、名古屋城の石垣のかっての採石場であったことをうかがわせます。
岩崎山全山にわたって点在する数々の巨石の中には、石垣用の「採石・石切り作業」が行われていたことを示す「くさび跡」<矢穴>「刻紋」等が見られます。
「くさび跡」とは、石を割るためにくさびを打ちこんだ小穴のことで、「矢穴」とも呼ばれています。また、「刻紋」とは、 徳川家の天下普請の名残りを示すもので、築城の際に各大名お抱えの多数の職人がその任にあたったため、石に文字や紋章・記号などの刻文をつけて目印にしたり、縄張り宣言をしたものだそうです。こうした「刻紋」・「くさび跡」の残る巨石は、今まで多くの研究者によって、かなりの数が確認されています。
 ■次の写真は、昭和57年(1982年)に原川(はらがわ)<「グレースハイツ岩崎」の東、約100mの所を流れている小さな川です>にあった年貢橋河川工事により移設>の下流で発見された石で、これら三個の石は岩崎山から切り出された後、名古屋城の築城現場に運ばれる途中、何らかの理由によって原川に落下したため、上記場所に放置されたと言われています。<落下し た石は「落城」につながるとして、縁起をかついで拾うことをしなかったとする説もあるようです>
         <小牧市民会館外庭に展示>

 
  よく観察すると、石を切り出した時のタガネの跡刻紋が見られます。現在の名古屋城の石垣の中に、これと同じ形の複数の刻紋が確認され、その場所は、加賀の前田藩が築城工事を担当した場所であったと言われています。
こうしたことから、名古屋城の石垣に「岩崎山」から切り出した多くの石が使われたことが裏付けされ、歴史上の事実として証明されました。その後、宝暦の名古屋城石垣修理の時も、この「岩崎山」からかなりの量が採石され、城内各所の石垣修理に使用されたと言われています。
静穏なたたずまいの岩崎山の緑陰に身を置き、歴史の一ページに往時を偲びながら、どんな「くさび跡や刻紋」などが見られるか探し出すのも面白いと思います。ぜひ「岩崎山」を訪ねてみてください。最近、切り出された残石等を使って、石段登り口周辺に公園用の石垣が作られましたが、この中にも「刻紋」等が残る石が見られますので、注意深く視線を向けてみてください。
岩崎山の麓に築かれた石垣 天然記念物指定の「五枚岩」
熊野神社の横手には、巨大な五個の石が連なって高く突出し、奇観を呈している岩石が見られます。これは、「岩崎山の五枚岩」<高さ約5m・厚さ0.7〜2.5m、奥行き約10m>と言って、花崗岩の節理面<規則的な割れ目>にそって風化浸食が進行・分離したもので、五枚の岩が平行に並ぶ巨大な岩石群です。昭和35年(1960年)に愛知県より天然記念物に指定されています
このほかに、岩崎山東南山麓に「岩屋古墳」<文化財>があります。墳丘は流出した形で、巨石を組み合わせた市内最大の規模を持つ横穴式石室です。

 「グレースハイツ岩崎」の西北約700mの所に、屋内スポーツクラブ 「Vトピア・スポーツクラブ」 があります
Vトピア 紹 介
     スポーツクラブ  Vトピアスポーツクラブ
         所在地  小牧市
久保一色16

名鉄味岡駅より徒歩1分の好環境にあり、小牧市内最大級を誇る民間のスポーツクラブです。民間のスポーツクラブが
  「環境と健康」という普遍的テーマを挙げて取り組んでいるのは珍しい。我が国初という「元始活性水」<水溶性二重体
  鉄塩を含んだセラミックスにより活性化された水>を取り入れた画期的な「健康プール」を所有し・「21世紀型スポーツ
  クラブ」<HPより>と銘うっています。トレーニングマシンは60台、スタジオレッスンは週24本と充実しています。
プログラムは、スタジオプログラム<1か月180本のプログラム>・マシンジム<男女100のトレーニングメニュー>・プ
  ールプログラム<1か月152本のプログラム>という多彩で豊富なプログラムが用意されています。クラブは、スイミン
  グ・エアロビクス・ヨガ・太極拳・ヨガ&ピラティス・パワーヨガ・フラダンス・ヒップホップ・ピラティス・ボールでシェイプ・スト
  レッチポール・フットセラピー・ボクササイズ・ステップ・カイロプラクティング その他と実に多目種にわたっています。この
  ほかに、シャワー&スポーツサウナも併設されています。
子ども対象として、スイミングスクール・体操教室・ダンススクール・空手スクール・書道スクール・英会話スクールがあり
  大人のための文化教室として、大正琴・書道教室・英会話教室が併設されています。クラブは全会員制で、約3,000人
  が登録<受付女性の話=具体的数字は示せないとのこと>、特に会員の体力・年齢等に合わせたカウンセリングメニ
  ューを作成・重視し、各個人のニーズ・目的に合わせてのエクササイズに力を入れているとのことです。
Vトピア・スポーツクラブ スタジオ・マシンジム スタジオ・マシンジム スイミング
<所在地地図>